おっさんの韓国生存記

韓国で住んでいる中年の男です。

退職後を考える

今週は我社のグループ会長が日本支社に訪問するという一大イベントがあるため、今週の木曜日に上司の上司に退職の旨を伝えるつもりでいる。それまでは平然を装って仕事を黙々とこなすつもりだ。

 

昨日は精神科の医者にも退職するに至った経緯を説明いて、これまで反対していた医者もどうやら納得した様子だった。韓国人の妻は依然として反対しているがこれは当然のことだ。しかし、僕の人生であり、僕がこれ以上あの場にいるといつ発狂するか分からないため、自分と会社のために、退職することにした。

 

問題は、退職後の進路だ。これまで、何度も履歴書を送ってものの、40歳の大企業課長経歴と日本語ができるという2つをもってしても、年齢の問題と業務経験の内容の浅さからか、一向に面接まで読んで貰える気配がない。

 

今の時点で退職を伝えるとすると、残りの休暇を消化することを前提に10月末に退職するという予定になるだろう。だから9月の月収及び韓国の正月ボーナス600万ウォン、10月の月収450万ウォン、そして退職金6000万ウォンは手中に収めることができる。11月と12月は年末になるので、職を探すとしても中々道は見つからないだろうから、今ある2000万ウォンの米国株からの毎月の配当金20万ウォンだけが収入となる。ただ、会社と精神科の協力を得て、失業手当を貰うという形にすれば、それだけで特に生活の心配をすることはなくなる。

 

それでもこれまでの生活レベルを下げるためには、毎月大量に購入していた本は図書館から借りるという方法に変更し、食費は最大限に節約する。むやみやたらとオンラインでの自己啓発系講義を聞くことは辞める。酒は当然やめる。服は新しいものを買わずできるだけ今あるもので清潔感を保つ。そして、法廷通訳士の資格を短期間で取得して、通訳のアルバイトをしながら中年の就業斡旋センターや就職サイトの情報をリストアップして片っ端から前職よりも条件のいい企業を探して応募する。そのためにはこれまでのキャリアと履歴書の書き方などの無料教育施設をりようするなどして自分を売り込む方法を考えなければならないだろう。

 

上記の他に、結局自分が会社に迷惑をかけた低スキルなExcelと会計の勉強を継続して行わなければならない。会社の福祉ポイントがまだ30万ウォン分残っているので、大学生が利用するオンライン講座は最低限受けてスキルアップできるようにしておこうと思う。後は、講義はほぼ全て聞いたUSCMAの問題練習だ。管理会計の国際資格を取って、自分は経営層に近い場所で仕事ができるということをアピールできるようにして、中小やベンチャーの韓国にある日本関連企業の責任者レベルに就職することができればそれに越したことはない。40歳に見合った転職というキャリアアップになる。つまり、退職が正当化される。

 

上記のように退職後、こつこつと計画的に準備をしていけば、何も怖がることはない。その過程と結果自体を履歴書に盛り込んで、人生を真剣に生きている点をアピールすれば、見る人は見てくれるだろう。希望が湧いてきたぞ。まだ死ぬのは早い。

退職

本日は、人事部に連絡して退職のプロセスを聞いた。いよいよ本格的に職無しの40歳無能男性となるわけである。但し、毎日のようにパワハラ紛いの暴言と屈辱から逃れられるということを考えると、気分は物凄く楽になるのは確かだ。お金の問題よりもストレスフリーな生き方を選べていることに対して、僕自身はそれなりに誇りに思っている。なぜなら、周囲は怖くて退職ができない。僕は退職するのが怖くない。ひもじい思いをして死ぬ可能性はほぼない世界で生きているし、このご時世、お金ならなんとでもなるだろうと考えている。大企業での10年以上の生活から解放されることで、より自由に思考を巡らせてそれを実行し、誰かの下僕としてではなく、僕自身が主体となって、生きていくのだ。

 

とはいうものの、誰もが「次の就職先など考えていない」というと呆れた表情を見せてくる。それに大して僕は、「まずは山に行って瞑想にふける予定だ」という。これは冗談ではない。かなり本気だ。40歳は第二の人生のスタートラインだ。これからどう生きていくのか、何が自分を最高に楽しませてくれるのか、僕が社会に貢献出来ることはなんなのか、そんなことを考えながら、自分の生きる道を考えていく予定だ。組織の中での出世競走にはADHDの僕には不器用すぎて参加することはできない。山に篭って自然のなす流れの中で、思索と読書にふけりながら、財をなしていくような、そんな生き方がベストであると考えている。だからといって、アカデミックの世界で学者として生きていくことにも興味がない。あそこも所詮は出生競争の巣窟で、大企業以上の汚い争いが垣間見える。だからやはり僕には向いていない。

 

俗世から一歩離れた所で、のんびりとお金を稼ぎながら健康的で幸せな日常を送りたいのだ。そのために読書を行い、自分の直感と知力に頼りながら、生きながらえていく予定だ。不思議なことに、10年以上もいた会社をやめることに対して、さらに次の仕事も何も決まっていないことに対して、何ら不安がないのである。とても落ち着いている。おそらく、着実に、ゆっくりと、歩むべき道が開けてくるのだろう。そのためには、日々、読書と禁酒と運動と瞑想を続けながら、自分の精神的病とも上手く付き合いながら、富豪への道を、独自の道を歩んでいくことにする。

 

最後に一言だけ。確実に言えることは、このまま後10年会社にしがみついた所で金持ちには絶対なれません。むしろ自分の力で事業を起こすなり、なんらかの方法で稼ぐなりして行かないと、富豪にはなれないと思っている。

40歳無能リーマンの社内生存戦略

今年40歳で、ADHDが発覚した僕は現在韓国ソウルにある大手企業の課長職だ。韓国語がネイティブではない上、ケアレスミスの多さに後輩からも上司からも呆れられている。FP&Aというファイナンスよりの事務職について10ヶ月。マーケティング担当だった頃は成果も無いくせにそれらしきパワポ能力と弁が立っていたので誰も僕が仕事ができない男だとは思っていなかった。しかし、現在は本社最上階にある部屋の中で、周囲の白い目と上司の嫌悪感に満ちた視線を感じながら、時間が過ぎていくのを耐えながら待っている状況だ。

このような状況から抜け出すためにも転職を考えて履歴書を送っているのだが、年齢の問題からか、中々受け入れてもらえない。かかりつけの精神科の主治医も、その歳だと転職は無理だから、上司に怒られるのと周囲の白い目線に耐えながら、今の場所で粛々と生きていくしかないよとアドバイスなのか嫌味なのか判断がつかないコメントをもらった。そしてうつ病薬を若干強くしてもらうことになった。何としてでも死なずに耐えろということだろう。

社内でこのようなイメージを好転させて、少しでも居やすい環境にもっていくように頭を使わないと行けない状況だ。全ての原因は自分にあるのだから、自分で何とかするしかない。

まず、自分の今の社内でのポジジョンを客観的に明確化しよう。40歳で課長ではあるが、実務能力は新入社員なみで、彼らよりケアレスミスが多い。そして、コミュニケーション力がないため会話が少なく、暗いイメージを醸し出しているので周囲も鬱陶しいようだ。上司からは努力が足りないと叱られてばかりおり、誰にも聞こえるように大きな声で怒鳴りつけられるので、怒られキャラが確率されている。完全に負け犬イメージのポジションだ。仕事の内容は細かい数字のすり合わせばかりなので、散漫な僕には全くもって苦痛以外の何者でもない。仕事はつまらないので、それもやはり暗いオーラを出しているのだろう。これらの事項は改善の余地がない。自分にハンディキャップがあり才能もないわけで、努力をした所で自分を苦しめるだけだ。

唯一の武器は、日本語がネイティブであるということくらいだが、これは日本で生まれたということを意味するだけで、会社に大きな貢献が出来るわけでもない。そして、僕は読書が好きで、毎日何らかの本を読んでおり、毎日認知能力を改善させるためのサプリを飲んだり、瞑想をしたりしながら、僕なりに脳力を高める努力はしており、これらの事項は全く苦にならず、朝4時から出勤するまで毎日続けている。英語の勉強も始めた。毎日電話で英会話をしたり英語アプリで勉強をしており、英語の力は少しづつ着いてきている。さらに、会計関連の資格の勉強もしながら実務の知識をつけるように努力したり、Excelの機能を少しづつ実習して少しでも早く正確に処理ができるようにこまめに短縮キーを覚えている。そしてお酒は完全にやめた。毎日僕の脳を最大限に活かすためには、アルコールはマイナスでしかないからだ。

このように見てみると、僕の強みというのは、コツコツと必要で重要なことを行うことである。僕は昔からどんくさいと言われて機敏に物事に対応できなかったものの、最後の最後には大逆転して一気にエースの座に上り詰めたことが幾度がある。結局は、今はこつこつと必要なことを行い、様々な屈辱や侮辱行為に耐えながらも、諦めずに努力することしかできることがないのだ。時を待とう。これしかない。最近韓国で出版された本で「努力の裏切り」という本を読んだ。才能があるから努力ができて、成果がでるのであって、才能がないのに努力しようとしても努力できないし成果がでないというのが内容だ。つまり、今の僕を見ると、努力すること自体が才能がある証拠。だから、時を待とう。今の負け犬のイメージから、スターへとイメチェンできるようになるには、時間が必要だ。

 

転職と個人事業

同じ会社に10年以上いて、役員になれる可能性がゼロに等しいということであれば、即座に動くのが懸命な判断だ。しかも、現在の上司とは馬がまったく合わず摩擦が起きている状況で、仕事もミスが多く私の適正とは合わないことは明確になっている。であれば、少しでも可能性があり、私のこれまでの経験が生きる異業種への転職が収入アップにも繋がるのではないだろうか。ということで、私はこれから当分の間は転職活動を並行して行うことにする。

もちろん、これまで通り読書と米国会計士の勉強は続けるつもりだ。これはテニスの素振り練習のようなもので、この社会を生き抜くための日課である。一方で、月給という固定収入に加えて、個人事業にする収入の割合を増やしていくのが、将来の生活のためである。個人事業として何を行えばいいのか、毎日のように考えている。株式投資やブログ作成は副業のような感覚なので、個人事業とは言えない。私が行いたいのは、個人法人を立ち上げて、その代表取締役になることだ。サラリーマンかつ社長という肩書きを40代のうちに作り、50代になる前にサラリーマンは引退だ。そして、近々家を売って引越しをし、部屋を図書室兼事務所のような構造にして、お金を稼ぐ環境を整えたい。

まだ、意欲する自分がいる。ニーチェは人間という存在を克服する権力への意志こそが、人間の存在意義であり、自己を価値評価して、超人にならなくてはならないと諭した。私はその権力への意志がどうやらあるようで、今の自己を改革したいという意志も強いようだ。これこそが<生きている>という感覚そのものなのかもしれない。

誠実に、毎日、自己を少しずつアップデートせよ。1%でもいい。少しでも自分を高めよ。その積み重なりが複利効果をもたらし、ビッグジャンプをする段階にたどり着く日が来る。だから、毎日、心の赴くままに、積み重ねていくのだ。こつこつと。

ADHDと診断された40歳

このブログでいつものように言及している私のキャリアパスで、現在は経営企画系の仕事をしている。昨年の11月からの異動でもうしばらくすると1年が経とうとしている。それ以前までは営業やマーケティングの業務がメインだったが、今では会計とエクセルの業務がメインだ。会計の知識をつけるために毎日のようにオンライン講義を聞いており、業務上レポートを書いて情報をまとめることは割と得意な方である。

しかし、私には致命的な弱点がある。数字におけるケアレスミスが多すぎるのだ。例えば6月の数字を5月の数字に入れたり、389を398と読み間違えたりだ。それによっていつも数字の辻褄が合わないため、いくら他の仕事が満足の行く仕事だとしても、上司や関連部署からクレームや怒号を食らうことが多い。私は、毎日早朝に起きて、読書、勉強、英会話、副業、運動といったように自分を高めるための努力を限りなくしているのにも関わらず、仕事場で認められない。毎日気を張って生きているので週末にはその反作用で過度な飲酒を行い事故を起こすことはしょっちゅうある。

私はうつ病、パニック障害、不安症などをもっていたので精神科に通ってアルプラゾラムやインデノールなどの安定剤を携帯して職場で業務をこなしているのだが、40歳になった時点で主治医の薦めで精密検査をした所、ADHDだと診断されるに至った。これを聞いた時、ショックと言うよりは何故か安心感を覚えた。これまで人生が上手く回らなかった理由、精神的に苦しい毎日を送っていた理由が、説明できるようになったからだろう。そして、私はADHDの薬、そして定期的なニューロ訓練(集中力訓練)を受けることになり、今に至っている。

少しずつ、状況は改善しているように思えた。最近はミスも減ったように感じた。しかし、昨日のことである。(23年8月11日)一昨日の夜に突然社長提出用の資料作成を命じられ、夜中の11時まで数字をまとめたのだが、翌朝の7時に出社して、常務からレポートを見せてくれというので提出した所、前年の数字と前年比を加えろとのこと、報告まで5分しかないということを聞いて、慌ててデスクに向かって前年のPLと為替、経路別実績などの情報を寄せ集めてエクセルに入力した。「いつまでかかってるんだ!」という怒号が飛んできたので、急いで、そして慎重に作業して、プリントアウトして提出すると常務は何だか数字が変だといいながら、時間がないのでそのまま社長室に。その後、「お前の出した数字は間違っている。虚偽の報告をするのか!」とお叱りを受け、私の上司に「アイツはあんなケアレスミスをするやつなのか?お前がケアしないとだめだろう!」怒鳴りつけた。そして、上司は「お前はなんでそんなミスをするんだ。お前のせいで朝から気分が台無しだ」と私に怒鳴った。「常務はお前への信頼を無くしたぞ」

死にたい気分だった。ミスをしたくてミスをしたい人間などいない。毎日の努力も水の泡になった。感じたのは「俺らしいな。」という諦めの感情だった。ADHDであるということを打ち明けてはいないが、それが原因であろうということは分かっていたので、「何でこうなったんだ」と悩むことはなく、状況を受け入れることができた。ただただ、虚しくて悲しかった。こうやって人に迷惑を掛けながら、会社に損害を与えながら生きていく自分が、ゴミのように感じられた。「よし、退社しよう」という訳にも行かない。生活ができないからだ。代案として「よし、転職しよう」という考えに至った。完全に「逃げ」だ。しかし、逃げるは恥だが役に立つとはまさにこのことではないだろうか。

 

己の特性であるADHDと上手く付き合っていくために、どのように生活し、どのように生きていけばよいのだろうか。それは分からない。分かっているのは、この環境にいる内は、状況は悪化することしかないということだ。実の所、3日前に上司とは口喧嘩をして、お互いに距離をとっている最中でもある。こうなってしまったのは全部自分のADHDのせいである。他人のせいにはしない。しかし、この経営企画業務に適応しようと頑張ってきたこれまでの日々を考えると、無力感に苛まれ、生きることを諦めたい気分になってしまう。40歳で特にスキルのない私が転職ができるかどうかというと、よほど運が良くなければできないだろうということも分かっている。ただ、少しでもアクションを起こさなければ、自分だけが感じるこの地獄から、抜け出せるかもしれないという希望すら持つことができない。

ADHDもちの何者でもない40歳中年男性は、正直きつい。

 

 

40歳でも会社生活は楽しい時もある

本日は午前7時半から日本法人とのテレビ会議による打ち合わせがあった為、朝4時に起床していつものように読書を1時間、朝ごはん、英会話の順にルーティンをこなして行き、6時半に家を出て、7時過ぎに会社に着いた。8時から会議だと言うのに、事務所には誰一人おらず、30分ほど一人で読書をしながら時間を潰していた。

ちなみに最近読んでいる本の種類としては、アルコール中毒治療に関する精神科医のガイドブックと、40歳になっても道を見いだせない人のためのガイドラインのような本を読んでいる。普段なら投資や経済の本を読むのだが、最近はライフスタイルを改めるための意志が固まり、そっち方面の本もちらちらと読み続けている次第である。

本日は会議の後はひたすら資料の作成とメールのやりとり、そしてデータ分析とその結果の共有等、目まぐるしい一日ではあったものの、いつの間にか一日が終わっていたのと、仕事をする中で何か新しいものを学べた点があったので、少し気分が高揚するのを感じた。もちろん、昼休みには昼食を食べる代わりに会計のオンライン講義を1時間ほど聞きながら、こつこつと自己研鑽に励んだ。

そして家に帰る最中にも、欠かさず本を読み、家に帰って妻が料理をしている間にもブログを書きながら一日の整理をしている。このように見ると、本日は何とも充実した日だったのでは無いのかという感覚を覚える。40歳で毎日が鬱蒼としているのが常であった私でも、たまには満足する一日を凌駕することができた。

たまには、気分よく文章を書いて、こういう日もあったということを記録として残しておきたい。