おっさんの韓国生存記

韓国で住んでいる中年の男です。

ADHDと診断された40歳

このブログでいつものように言及している私のキャリアパスで、現在は経営企画系の仕事をしている。昨年の11月からの異動でもうしばらくすると1年が経とうとしている。それ以前までは営業やマーケティングの業務がメインだったが、今では会計とエクセルの業務がメインだ。会計の知識をつけるために毎日のようにオンライン講義を聞いており、業務上レポートを書いて情報をまとめることは割と得意な方である。

しかし、私には致命的な弱点がある。数字におけるケアレスミスが多すぎるのだ。例えば6月の数字を5月の数字に入れたり、389を398と読み間違えたりだ。それによっていつも数字の辻褄が合わないため、いくら他の仕事が満足の行く仕事だとしても、上司や関連部署からクレームや怒号を食らうことが多い。私は、毎日早朝に起きて、読書、勉強、英会話、副業、運動といったように自分を高めるための努力を限りなくしているのにも関わらず、仕事場で認められない。毎日気を張って生きているので週末にはその反作用で過度な飲酒を行い事故を起こすことはしょっちゅうある。

私はうつ病、パニック障害、不安症などをもっていたので精神科に通ってアルプラゾラムやインデノールなどの安定剤を携帯して職場で業務をこなしているのだが、40歳になった時点で主治医の薦めで精密検査をした所、ADHDだと診断されるに至った。これを聞いた時、ショックと言うよりは何故か安心感を覚えた。これまで人生が上手く回らなかった理由、精神的に苦しい毎日を送っていた理由が、説明できるようになったからだろう。そして、私はADHDの薬、そして定期的なニューロ訓練(集中力訓練)を受けることになり、今に至っている。

少しずつ、状況は改善しているように思えた。最近はミスも減ったように感じた。しかし、昨日のことである。(23年8月11日)一昨日の夜に突然社長提出用の資料作成を命じられ、夜中の11時まで数字をまとめたのだが、翌朝の7時に出社して、常務からレポートを見せてくれというので提出した所、前年の数字と前年比を加えろとのこと、報告まで5分しかないということを聞いて、慌ててデスクに向かって前年のPLと為替、経路別実績などの情報を寄せ集めてエクセルに入力した。「いつまでかかってるんだ!」という怒号が飛んできたので、急いで、そして慎重に作業して、プリントアウトして提出すると常務は何だか数字が変だといいながら、時間がないのでそのまま社長室に。その後、「お前の出した数字は間違っている。虚偽の報告をするのか!」とお叱りを受け、私の上司に「アイツはあんなケアレスミスをするやつなのか?お前がケアしないとだめだろう!」怒鳴りつけた。そして、上司は「お前はなんでそんなミスをするんだ。お前のせいで朝から気分が台無しだ」と私に怒鳴った。「常務はお前への信頼を無くしたぞ」

死にたい気分だった。ミスをしたくてミスをしたい人間などいない。毎日の努力も水の泡になった。感じたのは「俺らしいな。」という諦めの感情だった。ADHDであるということを打ち明けてはいないが、それが原因であろうということは分かっていたので、「何でこうなったんだ」と悩むことはなく、状況を受け入れることができた。ただただ、虚しくて悲しかった。こうやって人に迷惑を掛けながら、会社に損害を与えながら生きていく自分が、ゴミのように感じられた。「よし、退社しよう」という訳にも行かない。生活ができないからだ。代案として「よし、転職しよう」という考えに至った。完全に「逃げ」だ。しかし、逃げるは恥だが役に立つとはまさにこのことではないだろうか。

 

己の特性であるADHDと上手く付き合っていくために、どのように生活し、どのように生きていけばよいのだろうか。それは分からない。分かっているのは、この環境にいる内は、状況は悪化することしかないということだ。実の所、3日前に上司とは口喧嘩をして、お互いに距離をとっている最中でもある。こうなってしまったのは全部自分のADHDのせいである。他人のせいにはしない。しかし、この経営企画業務に適応しようと頑張ってきたこれまでの日々を考えると、無力感に苛まれ、生きることを諦めたい気分になってしまう。40歳で特にスキルのない私が転職ができるかどうかというと、よほど運が良くなければできないだろうということも分かっている。ただ、少しでもアクションを起こさなければ、自分だけが感じるこの地獄から、抜け出せるかもしれないという希望すら持つことができない。

ADHDもちの何者でもない40歳中年男性は、正直きつい。